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楽譜について思うこと

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こんにちはぶっとびです。

今日の内容は、昨日ツイッターでちょっと盛り上がった楽譜についてです。

 

 

楽譜は音楽の設計図

ふとTLを見たら楽譜について何やらみなさんお話をしておる…!

ということで私もちょっと考えて書いたツイートがコレ。

ゲーム音楽漬けな私ですが、幼い頃からバイオリンを習っていたので音楽教育的な面で言うとクラシック畑で育ってるんですね。
なので基本楽譜ありきなわけです。

現代日本の音楽文化に根付いているのは西洋音楽
基本的に西洋音楽の楽器を演奏する人にとっては、楽譜に書いてることを表現する・再現する(どっちの表現が正しいのかいまだに迷う)ということが大事なわけですね。
楽譜に明記されてない情報を楽譜から読み取る、ということも必要になってきますが、あくまで基本は書かれてることを演奏することかなと。

 

コミュニケーションツールの側面

そして設計図と書いた後また少し考えて、こんなツイートもしました。

作曲家 - 演奏家の間での意思疎通の方法としての楽譜。
アンサンブルする場合の演奏家 - 演奏家の間での意思疎通の方法としての楽譜。

そういう側面も持ってると思いました。
さっきの「書いてないことを読み取る能力」というのも、なんていうか会話の中で「言外のことも読み取る能力」に似てるんじゃないかな。

 

作曲家側から見た楽譜

作曲する立場から見ても、設計図・コミュニケーションツールっていうのはしっくりくる気がします。

これまでに何度も演奏者さんに渡す楽譜を書いてきた私ですが、どう演奏してもらいたいのかを本当にきちんと書かないとちゃんとは伝わらないんですよね。

そして面白いことに、自分がどう弾いてもらったらいいのかわからないところって演奏者さんにもわからないんですよ…。
なんとなくで音を置いてるところは必ず演奏者さんから質問されるんですよね…。あぁわかっちゃうんだなぁって、その度に反省したものです…。(おかげさまで作曲するとき音の必然性について必ず考えるようになりました)

 

楽譜の無い世界

そんでツイッターでは「耳コピ」と「楽譜」について盛り上がっている中、私のツイートがこちら。

西洋音楽畑で育った身からすると楽譜なしの文化ってすごく不思議でした。
今はもうそういうものとして受け入れてますしそれも面白いなぁと思うけど、楽譜がない分その音楽はきっと「流動的」なんだろうなぁと。
口伝えしていくうちに当初のものとは少しずつ変わっていくと思うので。

そういう意味では楽譜の文化による音楽は「固定的な音楽」と言えるかもしれません。
でも書かれていないことをどう読み取るかでその音楽の完成系はまた違うわけです。
指揮者によってテンポが違うとか強弱のつけ方が違うとか普通だもんね。
そしてそれも面白いところだと言えます。

と考えると、やっぱりデジタルの参入によって「完全に固定された音楽」が出現したと言えそうですね。
ちょっと話が逸れた!

 

また一口に楽譜といってもその姿は様々。五線譜以外にも楽譜ってあるんですよ。
その辺のお話もしたかったところだけど、そろそろ時間が許さないので今日はこのへんで!

では私はお昼食べてセッションに向かってきます!
それこそ今日のセッションは楽譜あったりなかったりするよ!笑