言うもするも「誰が」に意味がある。

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以前ツイッターかなにかで正にそうだと思ったコレ。

誰が言うかに意味がある。

最近やっとちゃんと理解して、身についてきました。

 

それは「誰が」言ったのか

テレビで好きな有名人が言ってた。
知らない人が言ってた。
その分野に明るい専門家が言ってた。
週刊誌に書いてあった。
信頼できる友達が言ってた。
嫌いなやつが言ってた。

同じ内容でも言ってる人によって受ける印象が全然違います。

やっぱり専門家に言われると納得するし、信頼できない人が言ってれば疑ってしまう。
それが人間の心理だよね。

だからツイッターのフォロワーを増やすビジネスが発生するんだと思う。
フォロワーの数はアバウトイコール影響力の強さだもんね。
やっぱりフォロワー数多い人ってちょっと「お!」って気持ちになるじゃないですか。私だけ…ってことはないと思う!笑
(話逸れるけどちょっと数の暴力を感じるよね。多いからなんだって話なのに、多いとやっぱり一目を置きがち)

 

有名かどうかだけじゃなくて、個々人の関係性も関係してくる。

仲良しさんに言われた言葉。
家族に言われた言葉。
ネットであんまり関わったことない人に言われた言葉。

どれも意味合いが全然違ってくる。

言葉そのものの持つ力もあるけど、でも言ってる相手が自分にとってどういう人なのかってことも同じくらい関係してる。

 

だからこそ、私も言いたいことがあったら言ってこうと思ったわけです。

なんとなくだけど「フォロワーさんの多いあの人が言ってるから私はいいや」とか「こないだテレビでやってたしいいや」 とか、言うことをサボる節があった気がしてる。
言いたくないんならいいんだけどね。
言いたかったはずなのに誰かに先を越されてモチベが下がってるとか。
言いたかったけど、なんとなくまぁいいやーってしてた。

でも私は誰かにとっては「仲の良い友人」で「家族」で、
もしかしたら「フォロワー数の多い人」かもしれなくて、「影響力のある人」かもしれない。

そういう人たちにとっては他でもない私が言うってことが大事だったりするわけです。

 

「言う」だけじゃなくて「する」もそう

「言う」ってことにフォーカスして書いてたけど、「する」、行動もそうだよね。
誰がするか。これも大事。

これもわかってたんですけど、実行するのはなかなか難しくて。

例えばバイオリンを弾くということ。私より上手い人は世の中にごまんといるわけです。
例えば音楽についての勉強会をするということ。私より詳しい人も、私より教え方が上手い人もめっちゃいるわけですよ。

だからこれまでは「これは私にしかできない」って思えたことを探して、それに力を注いでた気がします。

例えば配信。ゲーム音楽が好きでゲーム音楽に詳しくて、音楽について語れる人。それってあんまりいないんじゃないかな。私って貴重なんじゃないかな。

つまり自分がレアな存在だと思えることを探してたわけです。

 

でも違うんだよね。私がするということそのものに意味がある。

バイオリンだって、私より上手い人はたくさんいるかもしれないけど、でも「ぶっとびさんのバイオリンが聞きたい」って思ってくれる人が確実にいるわけです。
勉強会もそう。「ぶっとびさんとなら一緒に勉強できそう」って思ってくれる人がいるわけですよ。

そういう人たちにとっては上手下手とかそういうことよりも「私がやってる」ってことに価値があるんですよね。

別に配信も、やってることが珍しいから、希少価値が高いからみんな聞いてたわけじゃないんと思うんです。そういう人も中にはいるとは思いますが、それがすべてではないというか。

やっぱりこれも、私が配信してたから、聞きに来てくれてたわけですよね。
つまり根っこは同じなんです。「私がする」ということに意味がある。

 

それをちゃんと理解できるようになったのは結構最近でした。
たぶんいろんな人と関わってく中で自然と理解できたんだと思います。

他人に対しては思えてたんだけどね。「あなたがすることに意味があるよー」って。
対象が自分になるとなんかあんまりしっくりこなかったんだよね。
今思うと不思議です。その「誰か」に自分も入ってるはずなのに。

 

昨日書いたことも今日のことも、これまでにいろんなところでいろんな人が言ってきたことです。真新しいことを言ってるとは思えません。

でも誰かにとっては私が言ってることに意味があるから。

これからも自分の言葉で書いていきたいと思います。