自己評価って他人には関係なくない?

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ねぇ今いきなりハッとしたんだけど!

「上手い下手」って自分で決めるものじゃないんじゃないの!?

それに触れてどう感じるかは人によって違うんだから、誰かにとっては上手いけど誰かにとっては下手なんてこと、普通にあるわけで。
音痴の人からしたら上手いけどプロの歌手からしたら下手とか、小学生から見たら上手いけど壁サークルの主から見たら下手とかさ。
見え方って接する人の立場で全然違ってくるよね。

だから自分のやってること・つくったものを自分で「上手い」とか「下手」とか言って紹介するのは違うんじゃないか!?

私バイオリンはそれなりに上手いよー とか
でもピアノは上手くはないかなー とか

それは聞いた人が判断することであって自分から宣言することじゃない気がした!
わざわざそれ宣言する意味ある?っていう。
相手の判断の自由を奪う行為なんじゃないか?

 

だから上手かろーが下手だろーが、やりたいならやるってことよね。「私は自分自身のことこう評価してます」って宣言はいらない。関係ないもん。
そんで上手い下手は接した人が決めればいいということ。
(ついでに言うと上手い下手はやるかやらないかにはまったく関係ないということも大事)

「下手だけどやります!」って基本的に言わないようにしてたけど、その考えのちょっと先まで行った感ある。
考え方のレベルが上がった!って感じ。

 

あとどんな立場の人でも上手い下手をつけていいんだよね。
「自分なんかが評価をつけるなんておこがましい…」みたいな意見たまに見るけど、それは違う気がする。
ぼくは上手だと思った。私は下手だと思う。それだけのこと。

なんか評価ってその分野に精通してる人しかつけちゃいけない、みたいな風潮ある気がするけど、全然そんなことないんじゃないかな。
ゲーム音楽に精通してる私がコンサート行って上手い下手言うのもいいし、
スケートまったく滑れない私がフィギュア見て「この人下手だね」って言うのもいい。

 

そして、実は上手下手は価値には関係なかったりもする。
上手いから好き、だけじゃない。上手いけど嫌い、好きだけど下手、もある。

価値も人それぞれ、その人が決めることだから、自分にとって価値のないものでも誰かにとっては価値のあるものかもしれない。

 

自分的にこれは上手くできたなーこれは下手だったなーっていうのはもちろんあると思うけど、

人前に出す時はその自己評価は関係ないんじゃないかなって話でした。