こんにちはぶっとびです。
今日の内容は、昨日ツイッターでちょっと盛り上がった楽譜についてです。
楽譜は音楽の設計図
ふとTLを見たら楽譜について何やらみなさんお話をしておる…!
ということで私もちょっと考えて書いたツイートがコレ。
楽譜は設計図のようなものだと思います。設計士(作曲家)の考える完成形が書いてあるのが楽譜。なので慣れてる人はそれを見てすぐに完成形が想像出来るけどそうじゃない人には難しい、みたいな?楽譜自体すごく理系の範疇だしね。 https://t.co/mSdspx3J26
— ぶっとび@4/13(水)21:00~配信 (@buttobimusic) 2016年4月9日
ゲーム音楽漬けな私ですが、幼い頃からバイオリンを習っていたので音楽教育的な面で言うとクラシック畑で育ってるんですね。
なので基本楽譜ありきなわけです。
現代日本の音楽文化に根付いているのは西洋音楽。
基本的に西洋音楽の楽器を演奏する人にとっては、楽譜に書いてることを表現する・再現する(どっちの表現が正しいのかいまだに迷う)ということが大事なわけですね。
楽譜に明記されてない情報を楽譜から読み取る、ということも必要になってきますが、あくまで基本は書かれてることを演奏することかなと。
コミュニケーションツールの側面
そして設計図と書いた後また少し考えて、こんなツイートもしました。
あと書いてて気づいたけどコミュニケーションツール的な側面もある。音楽って言語みたいなものだから、一番汎用性の高い・一般的な五線譜を使えば意思疎通が図れるよねみたいな!外人と話すならとりあえず英語だよねみたいな!
— ぶっとび@4/13(水)21:00~配信 (@buttobimusic) 2016年4月9日
作曲家 - 演奏家の間での意思疎通の方法としての楽譜。
アンサンブルする場合の演奏家 - 演奏家の間での意思疎通の方法としての楽譜。
そういう側面も持ってると思いました。
さっきの「書いてないことを読み取る能力」というのも、なんていうか会話の中で「言外のことも読み取る能力」に似てるんじゃないかな。
作曲家側から見た楽譜
作曲する立場から見ても、設計図・コミュニケーションツールっていうのはしっくりくる気がします。
これまでに何度も演奏者さんに渡す楽譜を書いてきた私ですが、どう演奏してもらいたいのかを本当にきちんと書かないとちゃんとは伝わらないんですよね。
そして面白いことに、自分がどう弾いてもらったらいいのかわからないところって演奏者さんにもわからないんですよ…。
なんとなくで音を置いてるところは必ず演奏者さんから質問されるんですよね…。あぁわかっちゃうんだなぁって、その度に反省したものです…。(おかげさまで作曲するとき音の必然性について必ず考えるようになりました)
楽譜の無い世界
そんでツイッターでは「耳コピ」と「楽譜」について盛り上がっている中、私のツイートがこちら。
言ってしまえば多くの民族音楽に見られる「口伝え」は耳コピみたいなもんだしね。あれはまた楽器主体だから面白いよね。「とある音楽を表現する」ってより「この楽器でこれを弾く」ってことの方が大事なんじゃないかという。文化の違いですなぁ。
— ぶっとび@4/13(水)21:00~配信 (@buttobimusic) 2016年4月9日
あんまり詳しくないので恐縮なんですけど、楽器に音色以外の意味が付随してる場合ってあるじゃないですか。宗教的な意味合いとか。その場合は後者に当てはまるかなぁという。 https://t.co/1LPjICd6HE
— ぶっとび@4/13(水)21:00~配信 (@buttobimusic) 2016年4月9日
西洋音楽畑で育った身からすると楽譜なしの文化ってすごく不思議でした。
今はもうそういうものとして受け入れてますしそれも面白いなぁと思うけど、楽譜がない分その音楽はきっと「流動的」なんだろうなぁと。
口伝えしていくうちに当初のものとは少しずつ変わっていくと思うので。
そういう意味では楽譜の文化による音楽は「固定的な音楽」と言えるかもしれません。
でも書かれていないことをどう読み取るかでその音楽の完成系はまた違うわけです。
指揮者によってテンポが違うとか強弱のつけ方が違うとか普通だもんね。
そしてそれも面白いところだと言えます。
と考えると、やっぱりデジタルの参入によって「完全に固定された音楽」が出現したと言えそうですね。
ちょっと話が逸れた!
また一口に楽譜といってもその姿は様々。五線譜以外にも楽譜ってあるんですよ。
その辺のお話もしたかったところだけど、そろそろ時間が許さないので今日はこのへんで!
では私はお昼食べてセッションに向かってきます!
それこそ今日のセッションは楽譜あったりなかったりするよ!笑