こんばんは、病み上がりのぶっとびです。
ようやく「風邪だけどちょっとなら活動できそう〜」から「元気だけどちょっとまだ風邪気味〜」になってきました。やったね!
でも今日の私はどうもこういう感じなんですよ。
なんかこう、いろいろ考えてることはあるのにそれが上手に文字として出ていかない感じなんよねー。思考がふわふわ浮いてて文字に定着しないというか。だから文章も書けないし会話もいまいちいつもの調子でできない。
— ぶっとび (@buttobimusic) 2018年4月5日
でもこういうときにこそ文章を書いてみようかな〜という逆転の発想ができたので、最近思ってることを、とりとめはないかもしれないけど、そのまま書いてみようと思います。
「バランスがいいこと」をかなり重要視してる
私は何事もバランスを気にしてるみたいです。
バランスの良いものを好むというか、分析すると結果的に好きなものはバランスの良いものが多い。
例えば音楽。
何が言いたいのか、何がしたいのかということを効果的に魅せるために、立てるところと立てないところを作ってる曲が好き。
自分が作曲してるときも俯瞰で見て曲全体のバランスをとります。
この曲の聴かせどころはここだから前後はもうちょっと薄味にしよう、みたいな感じ。
例えばオシャレ。
私はチェック柄が好きなんですが、いくらチェックがすきだからって上も下も靴も鞄もアクセサリーも全部チェック…ってどう?と思うわけです(それでオシャレにできてるならそれはもうその人のセンスがすごすぎる)。
好きなチェックのトップスをメインにスカートはシンプルなものにするとか、普通そうやってバランスをとりますよね。
性格とかそういう精神的なものも一緒。バランスがとれてる人が好き。
それに世の中なんでも多面的じゃないですか。
普段元気な人だって暗い気持ちになることもあるし、理性的な人が感情的になることもある。
多面的なのがあたりまえで、だからこそバランスがとれてると良いなと思うわけです。
この考え自体さして珍しいことではないと思うんですけど、でも「バランスの良さ」を重視する人ばかりでもないらしいので、私の生き方なんだなぁと思ったわけです。
「嫌い」は「悪」ではない
よく「愚痴や嫌いなことは口にするな」みたいなことって言われますよね。私これ反対なんです。
嫌いって感情は悪いことじゃないんですよ。でもなんとなく、嫌い=悪みたいな風潮ありますよね。私はこれが嫌いなんです。
「好き」と同じくらい大事な感情だと思うんですよね、「嫌い」って。
自分は何が好きで、何が嫌いなのか。自分に限らず、自分の大事な人も、何が好きで何が嫌いなのか。
それを知ってると知らないとでは全然違います。
自分の好きなものの嫌いなところを延々話されたらさすがに嫌かもしれませんが、それは「好きなものの嫌なところを話されたこと」が嫌なのであって、相手がそれを嫌ってること自体に良いも悪いもないわけです。
嫌いだと思ってはいけない、なんてそんなことはウソです。思っちゃいけない感情なんかないです。
嫌いはいけないこと、そういう風に思ってることで苦しむことの方が多い気がします。
自然と好きになってもいいように、自然と嫌いになってもいいと思うよ。
もうちょっと書きたいことあったんだけどそろそろMPが切れそうです!!!w
このへんもうちょっと掘り下げて一つ一つちゃんとした記事にしたいですね。
たまにはこういうブログ記事もいいなぁということで。