buttoblog

ぶっとび(buttobimusic)の音楽活動や演奏会感想など書いてます。ご依頼もこちらから!

茫漠たる不安でいっぱいだった時期に感じたこと

ちゃお、こんにちはぶっとびです。

いつでも元気な私ですが、なんか7月前後は正直いまいち情緒が不安定で、茫漠たる不安と一緒に生きてました。

そのときの感覚を忘れたくないというか、いやまぁ忘れていいんだけど、でもなんかあの時間はあの時間で大事だった気がしていて。
基本的に元気でハッピーぱっぱらぴ〜な私でも、不安で暗くてしんどい時間ってあるんだよなぁっていうのを書き留めとくといいかなと。

 

というわけでその頃のことを、結構しっかり書きました。

8000文字というおそろしい量なので、どうぞ何回かに分けてお読みください。

 

複合的かつ誘発もされる「不安」

渦中にいる時からそうだろうとは思ってたのですが、ちまちまとした不安がいっぺんに押し寄せてきちゃったみたいなんですよね。

大きく分けると自分の体(健康)のこと、お金のこと、家族のことかなって感じです。

まぁ生きてれば小さな不安はいつも抱えてると思うんですが、精神状態が「心配」とか「不安」に傾いてると普段ならあんまり意識しない不安要素も誘発されて、勝手に大きくなってっちゃうんですよね。

一つ一つ、書いてみようと思います。

 

自分の体(健康)のこと

健康のことをまた細かく分けると「歯」「腰痛」「なんとも言えない不調が続いてる」の3つがありました。

 

中でも決定打だったのは「歯」ですね!
数ヶ月ぶりに歯科検診に行って調べてみると、おそらく1本歯にヒビが入ってるらしくて。
もうこれは将来的に抜くしかないらしいので、義歯を入れる的な処置が必要らしいんですよ。

これがまーーーなんとも言えない不安&やだやだやだやだって気持ちにさせましたねー!

落ち着いてる今なら別に歯が一本なくなるくらいどうってことないし、他の歯を大事にするための勉強料か〜くらいの気持ちでいられますが、当時は全然そんなふうに思えなくて。
後悔にもつながり、全然前向きな気持ちになれず、ただただ暗い気持ちになっていきました。

ずっと頭から離れなくて、しかもそれも建設的な感じじゃなくいたずらに不安になってるだけって感じでした。

 

次は「腰痛」

なんとなーく5月末くらいからふんわりと腰痛が続いてたんですよね。
でもそんな、痛くて屈めないとか動けないとかそれほど酷くなく、「腰痛」と言えるほどでもない程度の痛みだったのですが、それが6月半ばくらいからかなぁ、だんだん酷くなってきまして。
こう、ビキッってなるタイミングが出てきたんですよね。「あ、これ以上いくとギックリ待った無し」ってライン。

自分的にはストレッチを増やしたり体操を取り入れてみたりなどそれなりにやってたのですが、全然改善がみられず。
この「やってるはずなのによくなってる気がしない」っていうのがまた精神を蝕みましたねー。

 

そして3つ目の「なんとも言えない不調が続いてる」っていうのも、じわじわと私を不安にさせました。

こちらも腰痛と同じような、「そんな酷くないんだけどちょっと嫌だな」程度のものばかり。
いっそもっと酷ければ病院行くとか薬を飲むとかできるのに、そこまでじゃないっていう。

 

例えば、謎のゲップが出る。
でも空気だけで胃液が上がってる感じはしない。でもたくさん出る。(これを「ゲップーがいる」と表現してました/ゲップーはマザー2のキャラ)
夜中にお腹が痛くて眠れない時もありました。でもそんな腹部膨満感ってほど張ってる気はしない、けどなんか痛いしオナラが出ると多少解消される…みたいな。

他にも、例えば寝つきが悪い。
いや言うて1時間以内には眠れてるけど、でも夜中にちらっと起きちゃう。しかもぐっすり気持ちよく眠れた気がしない。
とはいえ毎日でもない。でも自分にしてはわりと頻発してる。とはいえ不眠ってほどではない…。

そしてそこに、7月半ばからのちょっとした腹痛。
珍しくちょっとお腹がゆるい。でも下痢というほどでもない。しかもお腹も「痛い?というほどか?でもこれから痛くなるのか?どうだ?(ならないまま引いてく)」って感じ。
とはいえ出かける予定があると心配。悪いものを食べたわけでもない。体を冷やしたつもりもない。ちょっと食欲は落ちてるけど、全然ないわけじゃない。一過性?そのわりには数日続く…。

これらも、リラックス効果が期待されるカモミールティーを飲んでみたり咀嚼の回数を増やしたりと、自分なりに改善を試みるもあんまり効果は感じられず……

 

あと左瞼がなんとなーくピクつく一歩手前な状態でした。
ピクピクするってほどではない。でもなんか今にもピクつきそうな。画面見てる時間が多いわけでもない。凝視してるとか目を酷使してる気もない。視力的には問題なさそう。見た目も変化無し。でも時々、なんか気になる…。

 

初めて人間ドックを申し込んだのも原因になってしまった

歯はさておき、腰痛含めよくわからない不調が続くのは気持ちが悪く、健康診断ももう何年も行ってないので、これを機に人生で初めての人間ドックを申し込んでみたんですよね。

でもこれがまた不安要素になってしまった感はありました。
バリウムしんどいとか聞くしー。ゲップが出るっつってる人がバリウムやってゲップ出さないってなかなか無理な話では?など。

でも人間ドックで異常なしと言われれば、それは安心材料になるわけで…。

 

家族の健康面やコロナの話

自分の健康面で気になるところが出てくると、芋づる式に家族の健康面も気になり出すというね。
両親ともにもう高齢者なので、そりゃああちこちちょいちょいあるわけですが。

普段なら全然気にすることのない父親の咳が異様に気になって。こないだ死んだ猫の直接的な死因が気管の異常だったもんだから尚更。
老猫のことも異様に心配になる。普段からずっと寝てるのが普通なのに、姿が見えないと探しに行ったり。ちょっと違うことするとどこか痛いんじゃないかって心配したりとか。

そして今ではもう日常になってしまったコロナも、突然嫌になる。これは不安になったというより、ものすごく嫌になってしまった。

 

お金、将来の話

あとはざっくりお金の不安、将来の不安。

お金の不安はぶっとびは昔からずっとあるからそこまで珍しくないんだけど。
でも最近だいぶマシになってきてたのが全部帳消しになるくらい、ブワーーーってめっちゃ不安になりました。

自分が稼げる能力ってなんだろう。音楽で稼ぐのはもう望み薄なのか。いや稼ぐとかそういうの抜きにして楽しくやろうって決めたじゃんか。
じゃあお金を稼ぐためにはどうしたらいいんだろう。何か他人より秀でてるものがないと。それを今から作ってくのか。またそうやって武器になるものを身につけてくのか。そういうの嫌だって思ったんじゃなかったっけ。

 

また、家を出ることの不安も関わってきます。

彼氏と同棲の話がずっとふんわり出てるんですけど、それも「楽しそう」という気持ちより「やっていけるのかな」という不安な方ばかりが顔を出すんですよね。
お金かかるよなぁ。大丈夫なのかなぁ。誰も家にいない時間が長くて、私はさみしくならないだろうか。家事はちゃんとやってけるだろうか。

 

愛猫が死んだのがズシンとのしかかってきた

こうやっていろんな不安・心配・嫌な気持ちに焦点が当たってたら、今になって5月に愛猫が死んだことがめちゃくちゃに悲しくなってきてしまって。

もうすっかり落ち着いてて、もちろん悲しいんだけど、そういうフェーズは抜けてたのに。

ひたすら、いなくてさみしい、悲しいってことが押し寄せてくるんですよね。
なでたい、さわりたい、そこにいてほしい。全部もう叶わないんだなぁという事実がひたすらに悲しいわけです。

 

 

不安な状態の自分の状況

いっぱいの不安や心配を抱えていた私ですが、やっぱり普段と全然感じが違います。

めちゃめちゃ鬱々としてるわけでもないんだけど、なんか基本疲れてるというか、やっぱちょっと重たい気分。
ただ漫然と時間を過ごしてました。

まず、集中できない。何をしてても気になることが頭の片隅で幅きかしてくる。

ポジティブな楽しいことができない。受動的なことならなんとかできる。テレビ、映画、読書など。(読書は自分から読んでかないといけないから能動的ではあるけど、できたなそういえば)
新しいゲームをするっていうのはできなかった。(ペルソナ5R買ってたのに手を出せなかった)
もちろん創作活動なんてもってのほか。

 

夕方、突然不安に押しつぶされそうになって意味もなく涙が出てくる。ヨガとかストレッチしてるときになることが多かった。
たぶん体と一緒に心がほぐれたことで、涙が出てこれるようになったんだと思う。緊張状態のときって涙も出なくないです???

ちなみにこの、「勝手に涙が出てくる」状態になったときに「あ、このままだとマズイな」と、真剣に思いました
なんとかしないと、と強く思った。なんとなく、このへんが自分で自分をなんとかしやすいボーダーラインな気がして。これ以上あっちに行くと危険な感じがしたんですよね。

ただ漫然としてると、きっとどんどん勝手にあっち側にいっちゃうから、できることから、何かしら手を打ってみたい。

 

親からの安心を欲する話

書くの躊躇ってたんだけど、だからこそここで一つ恥ずかしい話を書きますね。

いっぱいの不安の中にいて、やっぱり求めるのは安心なわけですよ。

そのせいか、泣けてくるときにいきなり思い出して余計泣けたのが、小さい頃の自分でした。5、6歳くらいの自分。と両親。と姉。

「あぁもう自分はあんなふうに、ただ守られるだけでいい時間は過ごせないんだな」と思ったら、すごく悲しかったんです。

今の私は自分のことも他人のことも環境のことも考えるのに疲れていて。幼い子供はそれ全部親に考えてもらってるじゃないですか。たぶんそういうのを求めてたんでしょう。
もう何もかも嫌だから誰かなんとかしてくれ〜〜〜っていう気持ちの向かった先が、実際そうやって生きてた頃の自分だったんでしょうね。

戻りたいわけじゃないんです。もう小学校とか中学校とか行きたくないし。
それにその頃の自分も自分なりにいろいろ大変だったわけで。それを羨ましがるのはちょっと違うなと思うし。

でも何も考えないでいていい安心感だけがほしかったんでしょうね。本人が自覚しないくらいあたりまえの、守られてるという安心感。

 

いい歳した大人が両親の愛を求める甘えん坊的なこと言うてるのほんと恥ずかしいんですが、事実だったので書いときます。

でもこの話を彼氏にしたら「みんなそんなもんじゃないの」と言われて、正直私もそんな気もしたりして。
だから勝手に恥ずかしがってるけど、そんな恥ずかしいもんでもないのかもなぁなど、思ったりもします。

 

不安を解消していく手段3つ

さてこの不安や心配!

解消するために何をしたかを書いてこうと思うのですが、
すでに文字数が多いのと、実はこれを書いてる今はもう12月で、なんとも筆が遅くこのままお蔵入りする前に公開したいって気持ちの方が強いので、とりあえずざっくりと書いていくことにします!

 

まず、ある程度は時間が解決するもんだろうと思ってました。
人間ドックはやったら終わるし、どうせ私のことだから放置せずに一個一個こなしていくだろうし。

でも私日にち薬って嫌で〜。せっかちだからか?
できることはやっていこうとしたわけです。

 

自分と会話する:内省の時間

こういうときに私がいつもやること。イエス自分との会話
部屋にこもって、内省の時間を設けました。

やっぱり、この茫漠たるもやもやふわふわしたものの正体を確かめないことにはどうしようもないわけですよ。
曖昧だからこそ悪戯に不安になってる。まぁ正体がわかったことで余計怖くなる可能性ももちろんあるわけだけど……と言いつつ、これまであんまりそっちのパターンはないですね。ラッキーなのかな。そういうもんなのかな。

ということで、まずは裏紙に、思い当たるものを全部書き出す。単語でもいい、文章でもいい。最初から文章形式で書きたいなら日記に書き始める。

何が嫌なの?何が怖いの?何が心配なの?
自分といっぱい会話する時間です。恥ずかしいこともくだらなさそうなことも、全部書き出してみる。

悩みを見つめて、正体を掴んでいく。しんどい作業ですね!!!!!

正体がわかったら、意外と別だと思ってた不安の根っこは同じだったりするので、分類します。
分類ったって線で繋ぐとかそんなんでいいけど、なんとなく同じジャンルにまとめておくとさらにスッキリする気がするんですよね。

 

さて、正体がある程度見えてきて分類までしたら、実際行動に移せることを考えていきます。

例えばお医者さんのセカンドオピニオン。経験者に話を聞いてみるとか。
日にち薬を待つなら毎日映画見るとかして早く時間が過ぎるようにしてみるとか。

このへんも考えてるだけじゃなくて、実際に書き出す。紙に「セカンドオピニオン」って書く。

全部書く。もやもやしてる自分の中から全部出し切っちゃう。

 

だいぶ疲れる作業なので、1時間もすれば結構ヘトヘトです。2時間やればクタクタよ。
なので今回はまた次の日とかに機会を設けて、何回かやっていきました。

やればやるほど、疲れるけどスッキリしていきます。
この時点で、行動に移してなかったとしても既に不安はちょっと落ち着いてる。
なんというか、「形のわかる不安」として置いておけるようになった感じ。扱い方がわかるようになった感じかな。

 

他人に話す

他人に話すのもすごくいい効果を生みますよね。
私はおしゃべりなので、もうなんでもかんでも母や姉や彼氏に話すのですが、
そもそも他人に話せるようになってる時点で、すでにちょっと深刻度は下がってる感じもする。
深刻だと思ってることって気軽に口にしにくいもんね。

 

そして話すと、思わぬ言葉にふっと力が抜けたりもする。

今回の私の場合、年上のお姉さんに歯の話を話したんですよ。
歯が折れてるかもしれなくて〜部分入れ歯〜?ブリッジ〜?インプラント〜?みたいなことをつらつら〜っと。
そしたら

「みんなよりちょっと早くに経験するんだね」

と言われて、その何気ない一言ですごく気持ちが楽になりました。

そうか、みんな年取ったらやることで。それを私はちょっと早くに経験するだけなんだ。

なんか、大したことじゃないのかもしれないと、安心したんです。

 

こういう決定的な言葉がなかったとしても、他人に話すだけでだいぶ気持ちは楽になる。(話す相手は選んだ方がいいけど)

他人に話すのも、自分の外に吐き出すって意味では紙に書き出すのと同じ効果だと思う。

 

本を読む

あと今回は、内省をしていろんなことを「気にしすぎてる」ということにも気づいたので、それをなんとかできればなぁと本を買ってみたりもしました。

本屋さんに行って実際手に取って、中身をちょっと読んでみて。自分の肌に合いそうだと思ったら迷わず購入。トータル3、4冊くらい買ったかな?

他にも、お金に対する不安に関係ありそうな、年収90万円で暮らしてる人のエッセイ本とか(これお金の話度外視してもいい本だった)、老いるのが怖いと思ってる感じがしたので「老いる勇気」というそのものズバリなものも買ってみたり(途中まで読んで止まってる)。

総じて、なんというか、生きてく上でのヒントになるようなものがいっぱいありました。やっぱり本はいいなぁと実感した。

 

慰めるためのネット検索はやめとけ

本を読むのに一見似てるけどオススメしないのが、ネットで検索することです。特に健康面

言っちゃあなんですが、9割が余計な情報です。

まぁもちろん私はめちゃくちゃいっぱい検索してさ。それで疲弊したからこれを書いてるんだけど。
正確には、自分を慰めるために検索するのは悪手だなと思いました。冷静なときに情報収集するならいいんだけどね〜。

いたずらに不安を煽ってきたり中身の薄っぺらい文章、無数にあります。
しかも不安っていうのは商売に利用しやすいので、うじゃうじゃ出てくる「コレならヤバい!解消するにはコレ!!」みたいなクソ記事!!!!

 

あとお医者さんが書いてるから根拠がありそうな内容でも、結局は自分の症状と本当に合致してるのかわからないし、一部の情報だけで「AがBだからCです!」ってできるほど簡単なら誰でも医者になれるよね。
結局複合的なものなのだからさ、体っつーのは。

まぁ検索してみてお医者さんに行くきっかけになるなら意味があるかなとは思うけど、ネットの情報だけで「私って〇〇(病名)なんだ」と思うのはなかなか危険だと思います。

「〇〇かもしれない…」という不安が増えるだけな気がしました。
どうあがいてもわかりもしない「かもしれない」を抱えるより、医者に行け。的確で早い。

 

「列車法」は私には合ってたみたい

と言いつつ、検索して有益だなと思った情報もちらほらありました。

「老いるのが怖い」「死ぬのが怖い」「漠然とした不安」あたりの内容は時々慰められましたね〜。

個人的に覚えておきたいなと思ったのがコレ。
不安を解消する方法で「列車法」と呼ばれるものです。

あなたは駅のホームに立っています。そこに貨物列車が走ってきました。貨物列車にネガティブな感情をどんどん放り込んで、そのまま走り去るのを見送ってください。

このようにイメージするのが、列車法。「痛いの痛いの飛んでいけ」のように、ネガティブなものを自分から切り離せますよ。

不安・ストレス解消方法5選。焦り・イライラから抜け出そう - STUDY HACKER(スタディーハッカー)
|社会人の勉強法&英語学習

ふむふむと思ってヨガマットの上でリラックスしながら目を閉じて何回かやってみたら、ちょっと気持ちが落ち着く気がしました。
たぶん人によって合う・合わないあると思うけど、私にはよかったようです。

 

行動に移していき、結果大丈夫で

そして最終的には行動に移すわけですが、思い出せる限りで書いてくと

歯医者さんのセカンドオピニオンに行ったら「この歯が折れてるとは思えない」と言われ拍子抜けし、
人間ドックでは不安だった検便も採血もバリウムもなんてことなく終わり、結果も特に問題なく、
ゲップのことを相談したけどそれも「空気飲んじゃうんですかね〜」と穏やか〜に言われて逆に楽になった感もあり、
腰痛はふと「これな気がする」と膝裏を伸ばすストレッチ取り入れたら段々改善していき、
猫が死んで悲しいってことを改めて口にして泣いたりもし、
読書で取り入れた気にしない練習はできるだけ心がけ、

そうこうしているうちに、いつのまにか普通の心境に戻っていったようでした。

文字にしてまとめちゃうとあっけないけど、
でも不安ばかりだった時期、扱いのわかる不安と共に過ごした時期、不安より解消の方が強まった時期、ふわふわと落ち着いていった時期……結構長期戦だったなぁと思います。

そういう意味では日にち薬もやっぱり効いてるんでしょうね。

 

あきらめる=受け入れるということ

歯のことがおそらくだいぶ大きな不安で、結果的に折れてないのでは?というハッピーエンドではありますが、
もし折れてたとしても「インプラントでいいや!」と心に決めていたので、ハッピーエンドだったから不安じゃなくなったわけではないんだよな。

結局、不安が解消されるのって「受け入れる」「あきらめる」ってことなんだと思う。

私ってコレを不安に思ってるんだっていうことを受け入れる、とかさ。
さっき書いた「親からの安心を求めてる」っていう情けない自分を受け入れる、とかさ。

カッコ悪い、情けない、そういう自分を見つめることになるから内省はしんどいわけで。

内面のことだけじゃなくても、歯が折れてても受け入れる、とか。
ゲップがよく出る期間もあるよね〜って受け入れる、とか。
腰痛治らないかもしれないけどそしたら気をつけて生きてこうね〜、とか。

受け入れて、うまく付き合っていくことが大事だなと思うわけです。

 

「安心」の重要性

あと不安な状態のしんどさを実感した日々でしたが、同時に「安心」の重要性もめちゃめちゃ実感しました。
いや〜!安心!めっちゃ大事ね!!

普段生きてて意識したことなかったよ。
それくらい「安心」っていうのは日々の土台で、心身の健やかさと密接に関わってるんですね。

こんなことでもないと気付けない気がするので、なんというか深い学びでした。

 

 

そんなこんなで!!!

7月に書き始め大晦日の今日ようやく終われそうな!!この記事!!おつかれ自分!!

こうやって振り返ると、いろいろと思うことのある経験でしたね。
「経験してよかった」とは言わないけど、でも経験した分得たものはいっぱいあるなって感じです。

最後まで読んでくれたあなた。
めちゃんこありがとう。長かったよね。おもしろかったならなによりです、マジで。