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悩んだり、情けない姿も魅力的って話

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気軽にブログ更新しようよ、引き続き実践中。こんにちはぶっとびです。

こないだ読んだ本に「自分のダメなところや失敗が他人には魅力的に映る」的なことが書いてあって、「わかるなぁ〜」ってなった話をします。

悩む姿ってその人の内面がわかっていいよね。語弊があるかな?
私の、自分でもどうかと思うところにもちょっと触れてます。えへへ。

 

抜けてるところに親近感

何かに長けてる人が他の分野でもすごかったりすると、なんというかちょっと近寄りがたかったりしますよね。精神的距離が遠いというか。
でもどこか抜けてたりちらっと失敗したりするといっきに親近感が湧いたりして。

なんでしょうねあれ。ほっとするというか。人間味を感じて親しみやすくなる。
「自分もちゃんとしてなくていいんだ」って許された感じがするんでしょうかね。

その本に「私小説というのは情けない話ほど面白い」と書いてあって、確かにそういう、さらけ出された読み物って読みたくなるよなぁと思ったんですよ。

なので私も、自分のそういう面をもっと表に出していけたらいい気がしたんですよね。
いや全然隠してるつもりもないしすごい面ばっかり見せてるわけではないですけども!

でもやっぱりさぁ、自分的にどうかと思ってるところ、特に「情けない」とか「かっこ悪い」とか「恥ずかしい」ことって、なかなか自らバーンて出せないじゃん?
自分の中で折り合いがついてるなら別だけど。

 

悩みの話

悩み、なんていうのもそういう一種な気がします。

悩みがなく崇高な目標に向かって生きる姿は他人に見せやすいけど、うじうじ悩んで立ち止まっててどうこうしようとしない姿は、なかなか見せにくいですよね。
(悩む姿を見せることで同情を誘ったり構ってもらおうっていう(無意識な)目的がある人は別かもしれないけど)

でも悩んでる姿も、それはそれで魅力的じゃないですか。あ、語弊がありますか。
悩んでる姿って、その人の内面がよく見える気がするんですよ。人の内面って、おもしろくないですか。あ、これも語弊があります?難しいなぁ。

でもこう、悩んでる姿を見ると「この人ってそういうの気にするんだー」とか「あーわかるなー」とか、何かと感じ入るものが多いというか。それこそ人間味を感じるんですよね。
で、その人のことをもうちょっと深く知れた気がする嬉しさ、みたいなのもあったりして。

でも悩んでる方からすると、まーなかなか吐き出しにくいですよね。
自分の内面をさらけ出すことへの抵抗感というか。親しい間柄なら話しやすいのは、これまでの付き合いで「この人なら受け止めてくれそう」っていう保証を感じてるからですかね。

 

ツイッターに書く人って少ない気がする

私は結構ツイッターで自分の感じたこととか考えたこと、多少悩みなんてのも呟いてますが、こういう人って意外と少ない気がします。
まーね。悩みを呟いて、あんまり知らない人に変に誤解されたらめんどくさいもんね。悩みを呟くだけで体力使うのに、そこから更に持ってかれるもんね。

私の場合、もう誤解されたらされたでしーらねって気持ちなんですよね。もちろんされたくないけど。でもされちゃったらさ、それは誰が悪いとかじゃなくもうしょうがないじゃん。誰にも誤解されずに生きてくなんて絶対無理だし。
わかってくれる人がわかってくれればいいかなっていう、よくあるやつ。基本そういう姿勢でいます。(ぶれるときもある)

あ、別に「みんなツイッターで悩みぶちまけろよ!!」と言うつもりはないですよ。好きに使おうツイッター。私も好きに使ってる、その延長で悩み的なものも書いてるよってだけ。

 

とか言いつつ、悩みがないのが一番だと思います。
でも悩みがあっても幸せにはなれるし、悩んでてもいいんだよとも最近思います。悩みのない日々とある日々を繰り返していくのもまたよし。

 

外に出して自分から離れる感覚

悩みも含む、情けないところや恥ずかしいところ、自分でもどうかと思ってるところの話ですが。
自分を振り返ってみるとね、結構ね、いろいろあるよね。まぁ30年生きてりゃそりゃあるか。

なんかね、そういうのを表に出すことで、その出来事を自分からちょっと離すというか、そういう感覚があります。客観的に見れるというか。
表に出すっていうのは文字に起こすってことですね。自分の日記とかブログ・ツイッターに書くとか。

「そういうのわざわざ他人に見えるところに書く必要ある?」って思うかもしれないけど、またこれ日記に書くのとブログ・ツイッターに書くのってちょっと違うんですよ。やったことある人ならわかるんじゃないかなと思うけど、どうだろう。
他者の目に触れるところに置く方が、もうちょっと距離が遠くなる感じがします。昇華がもう一段階進んだ、みたいな。

黒歴史は隠すよりむしろさらけ出して一緒に笑っちゃった方がいい、的なのに似てるかも。

 

私の場合:マフラー買いたいだけなの

ここで一つ、私の、自分でもどうかと思うバカバカしいところを一つ。小さいことですし全然どうでもいいことですが。

私、何かを選ぶときって、最良の選択をしたいんですよ。後悔したくないから。
こう言うとなんかカッコいいですが、その最良を求めるあまり選択肢の多さに辟易して疲れちゃって、結局機を逃したり「いいや〜」って戦意喪失したりするんです。

例えばマフラーがほしいとして。予算とデザインにあたりをつけたら、最近は通販サイトで探し始めるんですね。
そこで2〜3個探してすぐ好きなやつを見つけられたとしてもなぜか即決せず、探すのをやめないんですよ。「これよりもっと気にいるやつがあるかもしれない」って気持ちが拭えなくて、他の選択肢も見に行かないと気が済まないんです。
実店舗の場合は即決するときもありますけど、通販の場合はもうその傾向が顕著で!

好きそうなの見つけたら全部別タブで開いて、気づけばそのウィンドウめっっっっっちゃタブだらけ。
一通り選択肢挙げて、「よしここから選ぶか!」ってタイミングで気づくタブの多さにどっと疲れる。

もうここまでくると「マフラーかお〜!ワクワク!」なんて楽しい気持ちはしぼんでるんですよ。「ここからしっくりくる、自分にとって最良のものを選ぶぞ…」っていう義務感で動いてる。
なんのために買うのか。せっかくなんだし楽しく買おうぜ。

しかもこれ、ここまでやって疲れちゃって、結局買わなかったりもするのよね〜。気づけば売り切れちゃってたり。判断が遅いの。

 

小さなことですが、自分のどうかと思うところでした。情けないところ、ちらっとお見せできてよかった。この調子だ。

これからもっとさらけ出してこうぜって話でした。はたしてこの記事がその一歩になるのか!?