最近本を読んでます。今回はそんな「読書」の話

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こんにちは、コンスタントに更新できて嬉しいぶっとびです。

数ヶ月前から、日常的に本を読み始めました。

今回は読書の話です。
これまでの私と読書の関係、最近読み始めたきっかけ、読書で満たされる時間など、読んだ本ではなくて「読書」そのものについて思うことをまとめました。

 

読書期間のはじまり

11月になんかいきなり本を読みたくなり、街をうろつくたびに本屋さんを覗く日々でした。

ぶっとびは普段あまり本を読まないので、なんというか、本を買うということに慣れておらず。
「これ買っても読むかなぁ」「無駄になったらどうしよう」「すぐ読み終わりそうだしもったいないかなぁ」など、今思えばしゃらくせぇ!!!って雑念にまみれてて、「買う」という一歩を踏み出せなかったんですね。

でもこの時期って自分の内側を見つめ直す期間まっただ中で。
「少しでも気になったら買う」という自分の小さな望みを叶えてあげようと思い立ち、休日に突発的に本屋さん行って、おもしろそうだな、読んでみたいなと思った3冊をようやく買ってあげられました。

内側を満たす話はこちらの記事をどうぞ。

 

これまでの私と読書の間柄

そもそも私、昔からわりと活字中毒な一面があって。
朝ご飯食べてるときに視界に入ってくる牛乳の成分表をなんとなく読んじゃうとか、そういう感じだったんですね。

活字中毒なわりに読書は趣味じゃなかったんだけど、それはたぶん読書より好きなことが多かっただけなんだと思います。
文章を読むこと自体は好きなので、読み始めたらスイスイ進んであっという間に読み終わるタイプです。

読書=「小説」一択という思い込み

ところで、私の両親は二人とも相当な読書家なんですが、特に母の方が「読書」というと「小説」って人なんですよ。父はビジネス書とか人文(ていうの?)も読むんですが。
物心ついたときからそんな両親なので、「読書」というと「小説なんだ」という固定観念が強かったみたいなんですね。

小説、つまり物語自体は好きです。読んだことももちろんあります。
でも個人的には、物語を摂取するならゲームかアニメか漫画の方が好きみたいで。もちろん文章の媒体で摂取する物語にはそれにしかない良さがあるので、物語を読むのも好きではあるんだけど。比較の問題というか。
特に学生時代はその傾向が顕著だったように思います。

自己啓発とエッセイの間、みたいな本が好き

でも大人になってから、なんかのタイミングで自己啓発本を手に取って読んでみて。

その本はジャンルとしては自己啓発なんだけど、こう、あんま押し付けがましい内容じゃなくて、実体験も交えつつのエッセイみたいな要素もあって。なんていうか、その人の考え方を知れる感じというか。
その人の書く文章の温度感が私と合ってたみたいなんですね。

それからその著者の本をあれこれ読むようになり。

そういう経験を経て、たぶんぼんやりと「こういう読書体験もあるんだなぁ」ってしてったんだと思います。小説以外にも、本はたくさんあるじゃないかと。当たり前なんですけどね。

そんなこんなで、私は自己啓発とエッセイの間みたいな本を好んで読むようになったわけです。近頃読んでるのもそんな内容です。

 

最近本を読むようになったきっかけ

そもそも、なんでいきなり本を読むようになったかというとですね。

最初に書いた通り、なんか突発的に読みたくなったっていうのももちろん理由の一つなんですが、もう一つ大きな理由がありまして。

空き時間、何か活字が読みたくなったとき、
ネットじゃなくて本を読むようにしたらいいんじゃない?

と、ふと思い立ったわけです。

ネットで「とりあえず」を満たしていた

なんとなく何か文章を読みたいとき、私は主にネットを見てました。

ファッションやメイクのような女性向けの情報が載ってるポータルサイトとか、気になってたことを検索して出てきた記事を読んでみたり、そこから更に別の気になる記事を見つけて飛んで、そこからまた関連記事に飛んで……。
みたいな感じであれこれ摂取してたんですね。

でもなんか。
こういう読み方って、こう、すごく薄味のもので満たされてく感じがして、本当の満足感を得にくい気がしたんです。
特に食べたいわけでもないのに毎日カップ麺食べてるときみたいな、「とりあえずお腹いっぱいになってく」みたいな感覚。それなりの満足感はあっても、ずっと「それなり」でしかない。

そもそもネットの検索上位の記事ってSEO対策がされてるものだから、書き方とか内容が似てきちゃうんですよね。どれも大体一緒よ。
しかも、言っちゃなんだけど信憑性も怪しいし。アフィリエイト用に嘘八百並べてる可能性だってあるわけです。偉そうなこと書いてるわりに日本語が綺麗じゃなかったりもする。ついでに購買意欲をくすぐるために不安をつついてくる感じも好きじゃない。

ハッキリ言って、そういう文章は読みたくないんですよ。

だから、そうやって薄味な適当なもので満たすのをやめて、いっそ本を読んだらいいんじゃないかと思い立ったわけです。

 

満足感と集中

そしたらこれが、こうかはばつぐんだ!

出版社を通してるからある程度のクオリティが保証されてる。文章や内容によって私に合う・合わないはあれど、なんというか、余計なものがない。自社のプロモーションにつなげたりアフィリエイトを想定したり、そういうのがない。
純粋に文章だけを摂取できる。「文章だけ」を摂取する心地よさよ。

あと読んでて気づいたんですけど、広告もないし「関連記事はこちら」とかもないから、今読んでる文章にすごく集中できるんですよね。
これが内容に集中できるだけでなく、なんというか、読書している時間そのものに集中できる感覚もあって。
何かに集中する気持ちよさを感じました。

 

読書してるのに自分を知ることになるとは

そしてこれがまた、自分を知ることにもつながってる感覚があったんですよね。

自分はどういう考えに同調するのか、何に心を動かされるのか、好きなのか、嫌いなのか。

そういうものをいやがおうにも感じるというか。
読書をすることで、他人の考えを摂取しつつその考えから自分を知る。そういうサイクルができてる気がします。

あと集中してるからなのか、自分のそういう感覚に敏感になってるというか。自分の感覚にも集中するというか。これはおもしろい発見でした。

槙島さんも言ってた、読書は精神のチューニングだって

「紙の本を読みなよ、電子書籍は味気ない」

ってPSYCHO-PASSの槙島さんの有名なセリフがありますが、このあと「内容が入って来なかったりするときがあったりして、そういうところから自分の状態を知れたりもするよねー」みたいなことを(もっと賢そうに)話してましたね。
これも実感しました。何かがずっと心に引っかかってて読書に集中できてないなー、みたいな。そういうときはその引っ掛かりを取っ払ってあげると、全体的に精神が安定するんですよね。
「精神的な調律」。なるほど納得。

ちなみに私もやっぱり紙の本が好きです。なんとなくだけど紙の方が内容が頭に入ってくる気がする。
「そういうもんですかね」って返すチェグソンはそんなことないんやろか。それともあーた適当に返してるだけかい?

 

日常に溶け込む読書の時間

そんなこんなで、ソファでアマプラのゆったりBGM流しながら読書したり、カフェでコーヒーと共に読書したり、満足度の高い時間を過ごせています。(最近は感染者増えちゃって外でそういう時間とりにくいのが残念…)

ちなみに11月に買った本はもうとっくに読み終わり、そのあともちょいちょい買っては読み買っては読み。
読むのが早い分(?)内容を忘れるのも早いので、今はそれらを読み返したりしながら、気持ちのいい読書時間を過ごしてます。

運良く読み返したいと思える本にたくさん出会えたので、気が向いたら買った本の紹介もしたいなー。

読書がすっかり日常の風景になったぶっとびでした。