数年前の私は「商業世界での作曲の実績を作らなきゃ」と、それに向かって闇雲に動いてました。
でも今は、そういうのをやめてます。
そんな私はきっと、見る人が見たら全然ダメダメで、ぬるいこと言ってる甘ちゃんなんだろうと思います。
そう思われるのが嫌でカッコつけてたり、そこには触れないように隠してたような気もしますが、今となっては「そう、私甘ちゃんなんです〜〜」ってへらへらできるようになりました。
へらへらするのがポイント。さらにダメっぽく見える。それがどうした!
と、言えるようになるのにも、それなりの覚悟がいりました。(なんならまだ時々ドキドキする)
今回はそのへんの話をしようと思います。前にツイッターに呟いたやつらのまとめみたいな感じです。
個人的には「自分のダメなところをさらけ出す」の第2弾です。
箔をつけなきゃと思い込んでた自分
商業での実績作りをやめた話。
いや正確には「実績集めのために闇雲にわちゃわちゃするのをやめた話」かな。
とか言いつつ別に明確な意思を持ってやめたわけじゃないんだけど、いつからか「まーいっか〜〜」って感じになりました。
ありがたいことに数件実績あるしね。数年前になっちゃってるけど。
あーーーでも今ちょっとザワッとしたな!!!「数年前の実績しかないってどうなの」「数件しかないってどうなの」って気持ちだ!!!やっぱまだ不安なんだなぁ。
とはいえ、昔ほどそこに固執してないと思います。
以前は「実績を作らなきゃいけない」と思ってたんですよね。そうやって自分に箔を付けなきゃ通用しないと、ずっとそれを信じてたんです。
実際大事なんですよ、そういうの。だって私も商業での実績見るとやっぱすげーなって思うし、そういう人の作品て結局プロ品質で、クオリティの判断基準としてわかりやすいから、だから必要なことだと、もちろんわかってるんですよ。
武器まわりは疲れるよ
でもね、そういう「社会というフィールドで戦うための武器」的なやつって、疲れる。
もうこの一言に尽きます。疲れる。精神が摩耗する。
自分が武器だと思ってるものが本当に通用するかどうかを気にしてるのも疲れる。
新しい武器を手にしなきゃいけない気がしてそこに向かっていくのも疲れる。
武器周りのことって全部疲れる。
俗に言う若者の就職活動と同じような感じですたぶん。
自分の作品を、誰だかわからない人に値踏みされる感覚。理由もわからず、音沙汰がないという流れで不採用を察しなきゃいけない感じ。
まぁゆーていわゆるデモテープ送ったりとかそんなにしてないけど。似たようなことを数件やっただけで。でもそれだけでも十分自分をすり減らしていく感じがした。
作品=自分と思ってるわけでもないし、別に自作曲が採用されなかったからってそんな傷つく必要ないのにね。たまたま求めてるニーズに合ってなかっただけで、クオリティとしては申し分なかったのかもしれないし。
でもなんか、そういう「〜かもしれない」が積み重なってる、曖昧なもわもわしたものが、どうしようもなく不安にさせるんですよね。心に暗い影を落とす。
しかも向こうの立場としては何も悪いことはしてないし。あちらもこちらも悪くない。
でもだからこそ行き場のない思いを処理するのが難しかったりするわけで。
下心を御せない話
実際に人と会うのも神経をすり減らしました。いわゆる営業活動的なやつですね。
すでにあちらが私に興味を持ってくれてる状態で会うのは普通の気持ちで向かえるんですけど、こっちが相手方に「お願いします!」をしに行くとき。あと、「あわよくば」っていう下心備えてるときもそう。
私は正直に生きるのが楽なんです。
処世術で嘘ついたりもするけどさ、つかなくていいならつきたくない。ほんとなら「体調悪くて休みます」じゃなくて「気分が乗らないので休みます」って言いたいんです。言わないけど。
余談だけど、前似たようなことブログに書いたね。
だから、自分が下心を持った状態で、しかもそれをできるだけ隠して誰かと相対するっていうの、すごく苦手なんですよね。
下心を、たぶん上手く隠せてない。だからと言って「バレてもいいや」と開き直ることもできず、自分で御しきれてない状態。
でも下心を上手く扱えるようになりたいかと訊かれると、それはそれでちょっと嫌な気もして、じゃあどうすりゃええんじゃいっていう。
いっそ開き直れてしまえば楽だったんだろうけど、まだ20代でそういう荒波に揉まれたことのない私にはできなかったんですね。
今でもできるかと聞かれると、正直微妙です。まだできない気がする。
別に相手の方からしたら下心込みで近づいてくる新人さんってそんな嫌な存在じゃないんだろうと、思うけども!
でも基本自分が下心ありきで近づかれるの好きじゃないから、そういうのも開き直るのの邪魔をしてるんだと思います。
自信があるフリをするのも私には合わない
しかも自分の曲に絶対的な自信があるわけでもないから「とりあえず聞いてみてください!!良いので!!!」ってできなくて。
「私は良いと思ってるけどこれが通用するのかは正直よくわからないので……貴重なお時間をいただいて恐縮なのですが……聞いてみていただけると嬉しいです……」みたいなのがほんとの気持ちなわけよ。
でもこれを素直に出してはいけない気がして。そんな風に言われたら聞く気にならないよなぁとか思うと、無理にでも「自信あります!」を装わないといけない気がして。
しかも結構そういう話聞くじゃん!作曲家のインタビューで「本当は一回も作ったことないんだけど『できます!』って言ったら採用されたからそこから必死に勉強しました(笑)」みたいなやつ!
だから「実績を得るためにはハッタリも必要なんだ、そういう感じで掴んでいくんだ」って思っちゃったんですよね。
無理してそういう先人に倣ってた時期もありましたが、もうそれもやめました。合わない!しんどくなっちゃう!
自分が発信する場ならできるんだなぁ
あ、でもツイッターとかでは「良い曲できたからみんな聞いてね〜!」ってできるんですよね。心からそう思ってる。
ツイッターでは、さっきの「自分では良いと思ってるけど他人にはどうかわからない」っていうのの「自分では良いと思ってる」部分にフォーカスを当てて話してるんでしょうね。
それを、自分が誰かに選ばれるシチュエーションで発揮できないのは、選ばれなかったときの保険をかけてるからなのかもしれない。ダメージを減らすための処世術なのかも。
下心なしの縁が実を結んでる
純粋にご縁で知り合った作曲家さんからチャンスをいただいて、運良く関わることのできたお仕事はとても楽しかったです。
他にも、ご縁で知り合って好きになった作曲家さんに自作曲を送ってアドバイスをもらったときも楽しかった。
これはどちらも、自分に下心がなかったんですよね。「繋がりたい」とか「パイプを持っておきたい」とか「曲を使ってもらいたい」とか、そういうの抜きで、お相手の人ありきだったというか。
やっぱり私はそういうのがいい。打算だけで動くのは苦しい。
気づけば商業での数件の実績は、全部下心なしの産物なんですよ。なんか、そういうことか〜〜〜〜って思っちゃうよね。
商業以外でもすごい人はいる
とまぁこれまではしんどい〜〜って話ばかりでしたが、商業での実績に固執しなくなったのは、同人音楽界隈に顔出すようになったのも大きいです。
同人音楽界隈、プロクオリティのものもゴロゴロ転がってるんですよね。ざっくり言うと「すごい作品」。つまりすごい作品って、別に商業のものだけじゃないよなって思うわけです。
知ってはいたけど、関わりが深くなる中でどんどん実感を伴ってった感じ。
その人の作るものがすごければ、もうそのフィールドってあんま関係ない気がするんですよね。音楽に限らず、現代はプロとアマの境目がほんと曖昧になってるし。
商業は商業ですごいけど、商業じゃなくてもすごい人はすごいよね。
それをじわじわと実感してたら、いつのまにか「まーいっか〜〜」になってました。
甘ちゃんになる覚悟
でもこれは「商業でのお仕事はしない」って話ではなくて、「そこだけを闇雲に求めるのはやめました」って話です。
フィールド関係なく音楽やるよってことかな。
武器のことを考える日々をやめて、穏やかに好きなことへ向かっていく。
そういう生き方は、今のところ非常に快適です。
たまに昔の自分が顔を出して、曖昧な不安にそわそわしちゃうときもあるけど。
実は今も、この記事を更新することでもう一生商業のお仕事来なくなったらどうしようとか、思ってるけど!
でも今は「しんどいことはやらな〜い。私甘ちゃんなんです〜〜」でいくと覚悟を決めたので、がんばってそれを貫こうと思います。